前に何処かでこんなことを聞いたことがある。
お金のを払うという行為は、消費者が唯一できる意識表示だ
これを聞いたとき、なるほどと思った。
ただ機械的に物の代価として、お金を払うのではなく、その物やそれに関係するものを支持してる、というのを自覚してお金を払おうということ。
そう僕は解釈している。
最近漫画を買った。
その漫画をBとしよう。以前買った同じ作者の漫画、これをAとしよう。
Aは面白く、絵も話も好きで、違う漫画も読んで見たくなった。
だが、Bは面白くなかった。
ここで、物の代価という意味だけで、お金を払っていると、損をした気持ちになる。
でも、Bは面白くなかったが、Aという漫画を描ける作者にお金を払っている、AとBが同じ出版社なら、Aという漫画を出発する会社にお金を払った、そして、次はCというA以上の名作を出してくれるかもしれない。
そういう思いでお金を払うのが、大事なんじゃないかと最近思う。
そして、こういう考えが浸透したら、代金を消費者が決めれるようにする。
面白かったAと、面白くなかったBが同じ値段ではいけない。
何が一番いけないか
それは、その物への自分の気持ちが勝手に即物的に決められていることだ。
だから、値段は消費者が決め、消費者も自分の気持ちで、支持しているという気持ちで、値段を決めるべき。
そんな世の中になるのを僕はソウゾウする。
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