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2013年7月9日火曜日

思いとお金


お金の話しをしよう。


前に何処かでこんなことを聞いたことがある。

お金のを払うという行為は、消費者が唯一できる意識表示だ

これを聞いたとき、なるほどと思った。

ただ機械的に物の代価として、お金を払うのではなく、その物やそれに関係するものを支持してる、というのを自覚してお金を払おうということ。

そう僕は解釈している。


最近漫画を買った。

その漫画をBとしよう。以前買った同じ作者の漫画、これをAとしよう。

Aは面白く、絵も話も好きで、違う漫画も読んで見たくなった。

だが、Bは面白くなかった。


ここで、物の代価という意味だけで、お金を払っていると、損をした気持ちになる。

でも、Bは面白くなかったが、Aという漫画を描ける作者にお金を払っている、AとBが同じ出版社なら、Aという漫画を出発する会社にお金を払った、そして、次はCというA以上の名作を出してくれるかもしれない。

そういう思いでお金を払うのが、大事なんじゃないかと最近思う。


そして、こういう考えが浸透したら、代金を消費者が決めれるようにする。

面白かったAと、面白くなかったBが同じ値段ではいけない。


何が一番いけないか


それは、その物への自分の気持ちが勝手に即物的に決められていることだ。

だから、値段は消費者が決め、消費者も自分の気持ちで、支持しているという気持ちで、値段を決めるべき。

そんな世の中になるのを僕はソウゾウする。



2013年4月7日日曜日

音楽と想像


前から、音楽というものをあまり聴かない。

音楽はやっぱり、感覚的なもので良いと思っても説明がしにくいのが原因なのかなと思う。

感覚的なものなんで、人それぞれ良いものが違う。

例えば、文章や、会話などは面白さに説明がつきやすいと思う。理詰めで構成の力である程度面白さを生めるからだと思う。

だから説明しやすい。ミステリの叙述トリックものとかが構成力の面白の代表じゃないかな。

音楽は構成を組み立てて作ったとしても、その構成自体が一般的の人にはわからない。でも、このあたりの考えは人それぞれ意見があるかな。

こういうことが言いたいのではなくて、音楽って、前から私が言っている「想像」に似てるなと思いました。

想像は人それぞれ違うから、理解されにくい、共感してくれる人は面白がってくれる。感覚的なもの。

そして、想像特化の私が音楽を聴かない。

それが面白いなと思いました。これからは私に近い音楽も聞いていかないとね。



2013年3月24日日曜日

第三の検索


今のネット検索に限界を感じることが間々ある。小さい町ならなおさだ。

近くで、良い病院を探したいときに、都会だと評判なども簡単に検索できると思もうけど、小さい町だと、場所や電話番号は分かっても、評判などはなかなか分からない。

これは、町の大きさは関係ないかもしれないけど、何か建設中の建物があって、そこに何が建つのかなと思ったとき、ネット検索ではなかなか分からないんじゃないでしょうか。

では、そんなときどうするのか。

僕は、職場のパートさん、おばちゃんに聞きます。

「○○病院が良いよ」、「回転寿司店ができるみたいよ」

すぐに知りたい答えが返ってきます。この人たちはgoogleなのか、と思いました。

みなさんも、ネットに検索に限界を感じたとき、第三の検索、おばちゃん検索を利用してみては。


2013年3月17日日曜日

特化型


先日、友人がやっているBarに行きました。

その友人と会うのは10年ぶりぐらい。だから、話す内容が初対面の人と話すのに近く、10年間を埋める話、表層的な話をした。これは後で書くけど、重要。

友人は海外で数年過ごし、サラリーマンをし、今はBarのマスターをしている。経験が豊富で、その話を聞くのは面白い。

その日はとても面白く充実した日だったけど、少し思うこともあった。

僕以外にも、何人かでその友人とあったんだけど、僕に話しかけるのが一番難しそうにしていた。僕から話すことはあっても、向こうから話しかける回数はすごく少ない。

悲しいとかじゃないし、特に他の人と比べて仲が良くないということでもない。

では、なぜか。

それは、彼が経験特化型の人で、僕が想像特化型の人だからだ。

以前にこのブログで書いたけど、大事なことが4つあると僕は考えてます。何に対しての大事なことかと聞かれると、答えるのが難しいんですけどね。

その4つは、経験、想像、インプット、アウトプット。

4つともバランス良くあればいいんだけど、そのどれかが特化してると、変で面白いんじゃないかと思う。


経験特化型とはどんな人か。

友人を例にだすと、友人はいろんな経験をしたく海外に出て、今は接客業で、お客さんからいろんな経験の話を聞くのが楽しいといった感じだ。

実際、話は面白かった。人は、自分の知らないことには興味があるし、経験の話は深い感情がなく、情報に近く、共感しやすい。だから、初対面の人にも話しやすい。

まー、+面のほうが多い気はした。たまに僕みたいな人に、話に想像、深さがなく物足りないと思われるぐらいかな。


では、想像特化型とはどんな人か。

想像は個人で違い過ぎるので、共感が難しい。だから初対面の人に対して、いきなり自分の想像の部分をだすのは難しい。
しかも、共感が持てるはずの経験の話を面白いと思えない。

でも、一部の人達には、その想像の部分が面白いと思ってもらえ、深く楽しんでくれる。


あとのインプット、アウトプット特化型は、今は考えないでおこう。楽しい想像になりそうだけど、具体的な人に出会ったときに考えようかな。

さて、これを読んでくださっている人はどういったバランスの人なんでしょうか。バランス良くするのがいいのでしょうけど、特化するのも面白いのかもですね。




2013年2月24日日曜日

想像しよう

大事だなと思うことが4つあります。

「経験」、「想像」、「インプット」、「アウトプット」の4つ。

ここでの経験は体験に近く、何処かに行った、身体を動かしてなにかをした、大自然的なものを見た、感じたなど。

インプットはテレビやPCから情報を得た、映画をみた、本を読んだ、ゲームをしたなど。

想像は経験やインプットから何かを考えること。

アウトプットは他の3つを書いた、話したなど。

この4つのバランスが良いのが理想。

そんなことは当然だと思うかもだけど、なかなかそうはできてない。

多くの人が、想像が抜けている。

例えば、「旅行行きましたー。楽しかったですー」とTwitterやブログで書いものがあるとします。

この文章に想像はあった?

いや、Twitterってそういうものでしょ?っていう意見もあるでしょう。

そうですねと思うところもあるし、もっと面白い使い方をしている人もいる。

さっきの文章になくても、想像したことを別のところで、アウトプットしている人も、もちろんいる。

でも、想像が抜けている人は多いし、想像なくてもある程度楽しくやっていける世の中なんだなー。

そこが、僕は残念に思う。もっと多くの人が想像し、そのことを話したり、書いたりすれば僕は面白い。

とういことで、落ちもなく、面白いかどうかは分かりませんが、僕の最近の想像をアウトプットしよう。


雨音がずっと聴けるアプリが800円。

たぶん、高いと思う人のほうが多いんじゃないかな。でもそのアプリを即決で購入した僕。雨好きだから仕方がない。

そんな経験から想像した。


「君があの殺人が起きた時、何をしていました」

「僕は雨音を聴いていました」

「あー、あの時間は、ちょうどゲリラ豪雨が降ってたっけな。防音のあの部屋では聞こえないか」

その後

「君は嘘はついてなかった。私が勘違いしていた。ずっと雨音が聴けるアプリか、そんなのをずっと聞く人もいるんだな」

「ゲリラ豪雨・・・、降るのを知っていれば、あんなことするより生の音を聞いていたのに」




ローカルルールから学ぶ


子供のころ何をして遊びましたか?

僕は印象に残っている遊びは「ドロケイ」でした。

これを見て「ケイドロ」でしょ?って思った人もいると思います。

そう、だいたい似たような遊びなんだけど、名前やルールが少し違ったりするんです。つまり、ローカルルールがたくさんある。

これはすべての遊びにいえることだと思う。

じゃ、なぜそういったことになるんでしょう。

僕が思う理由は「子供」が「遊び」をしたから、じゃないでしょうか。

子供のころは想像力、発想力が豊かだったと思いませんか。基本となるルールがあったとしても、遊んでる途中にルールを変えていく。自分たちがより楽しむために。

思い起こせばそんな経験がひとつぐらいあるんじゃないでしょうか。

今大人になった私達は、子供のころのように遊んでいますか?

もちろん、人が皆同じことをしているとは思いませんが、全国どこででもできること、誰としても同じこと、そんな遊びしかしてないんじゃないでしょうか。
 
社会やメディアが与えてくれる「遊び」は入りやすく、一定の楽しさを提供してくれる。

でも、それは遊んでいるんでしょうか、遊ばされているんでしょうか。


僕はこの間、友達と動画をとりました。一分ぐらいのとてもシュールな動画でしたが、作るのに何時間もかけて撮りました。
 
何も決めてなく、自分たちで一からすべて決めました。どういったものを撮るか議論したり、セリフ作ったり、小道具作ったり、カメラワーク考えたり、それはとても無意味で楽しい時間でした。

僕は思いました

久々に遊んだなーって。

こんな「子供」の「遊び」をいつまでも一緒にしてくれる友達に感謝です。