2013年9月11日水曜日

アームチェアディテクティブ


ソウゾウを書くのが目的のこのブログ。

買ったものからのソウゾウもあるのではと思い、新しいラベルを貼り、書いてみよう。


アームチェアディテクティブ、この言葉だけで興奮してしまう。

ミステリ好きにはたまらない言葉。

ミステリの一つのジャンルと言ってもよいでしょう。

アームチェアでも、ゆらゆら揺れるロッキングチェアで、揺られながらパイプをふかし、現場に行くことなく、聞いただけで事件を解決してしまう。

そんな風景に憧れたものです。


そして、何故自分の所には、謎を抱えた依頼人が舞い込んでこないのか。


ロッキングチェアがないからだ。


という訳で先日、ロッキングチェアを購入しました。

これで、私の灰色の脳細胞を活用できるようになるな。




2013年7月9日火曜日

思いとお金


お金の話しをしよう。


前に何処かでこんなことを聞いたことがある。

お金のを払うという行為は、消費者が唯一できる意識表示だ

これを聞いたとき、なるほどと思った。

ただ機械的に物の代価として、お金を払うのではなく、その物やそれに関係するものを支持してる、というのを自覚してお金を払おうということ。

そう僕は解釈している。


最近漫画を買った。

その漫画をBとしよう。以前買った同じ作者の漫画、これをAとしよう。

Aは面白く、絵も話も好きで、違う漫画も読んで見たくなった。

だが、Bは面白くなかった。


ここで、物の代価という意味だけで、お金を払っていると、損をした気持ちになる。

でも、Bは面白くなかったが、Aという漫画を描ける作者にお金を払っている、AとBが同じ出版社なら、Aという漫画を出発する会社にお金を払った、そして、次はCというA以上の名作を出してくれるかもしれない。

そういう思いでお金を払うのが、大事なんじゃないかと最近思う。


そして、こういう考えが浸透したら、代金を消費者が決めれるようにする。

面白かったAと、面白くなかったBが同じ値段ではいけない。


何が一番いけないか


それは、その物への自分の気持ちが勝手に即物的に決められていることだ。

だから、値段は消費者が決め、消費者も自分の気持ちで、支持しているという気持ちで、値段を決めるべき。

そんな世の中になるのを僕はソウゾウする。



2013年5月19日日曜日

言葉はいらない



「どっか行ってたの?」


「見ればわかるでしょ。サンポ。珍しいじゃん、サトシがこんな時間に起きてるなんて」


サトシとルームシェアを始めてもう3年経つ。始めの頃はサンポも良く行ったし、一緒にいる時間も長かった。

でも最近は、サトシが不規則な生活もあり、一緒にいる時間も減ってしまった。

たまに、同じ部屋にいることもあるけど、お互いもう空気みたいな存在だ。


「あー、ねみぃ」


と言って、サトシは自分の部屋に入っていく。

私は少しダラダラと過ごし、ご飯を食べていた。サトシの部屋からいつものように音楽が聞こえてくる。

あれっ、いつもの感じの音楽と違う。始めて聞く曲だったけど、良い感じの曲で心地良くなる。

懐かしい。始めてサトシと出会った頃は、よくこういった音楽を聞かせてくれていた。


「サトシ、ご飯出来たよ」


「ありがと、ユカ」


部屋をでてきたサトシに、私は久しぶりに抱きついた。


「おっ、うれしそうにして。やっぱ分かるか、おまえこういう音楽好きだもんな」


改めて思った。サトシは私のことよく分かってくれてるな。


「ヨシヨシと、こんないっぱい尻尾振って。じゃもう一回俺とサンポ行くか」


「エルのサンポはさっき私が行ったでしょ。それより早くご飯たべてよ」


ユカのケチ。久しぶりにサトシと一緒にサンポに行っても良いかなって思ったのに。



2013年5月1日水曜日

御衣黄


復卵:少し変な人

マスター:セブンの飼い主

セブン:太っちょミニチュアダックス♀



復卵:「人は比較対象がいると、どうしても比較してしまうとおもいません?そして、普段は心の何処かに隠してるのに、比較することで、再確認させられたりするんですよ。それは嫌なものでね、へこむんですよね」

セブン:「比較されるから、太って見えてしまうワン」

マスター:「あちゃー、復卵さんすごい落ちてるじゃないですか。何か比較するようなことあったんですか?」

復卵:「こないだ友人の結婚式に出席したんですよ。そこで、多くの人と出会うじゃない。多くの人が普通にやれていることなのに、自分は出来ないんだなーと思ってね。同じことの繰り返しの毎日だと、忘れてるのに、そういう特別な場だと、再確認させられるよね」

復卵:「はー、マスターカクテルを何かひとつ」

マスター:「じゃ、これを」

復卵:「おっ、この中にはいっているのは、桜の花びらをシロップで漬けたやつだね」

セブン:「落ちてる花びらが全てシロップに漬けらてたら、食べ放題だワン」

復卵:「ん?だからか、だとしたら面白いな」

マスター:「どうかしました?」

復卵:「ところでマスター、サクラの花びらって何色」

マスター:「何言ってるんですか、目の前にあるじゃない。ピンクでしょ」

復卵:「そうですね。でも、緑の花を咲かすサクラもあるって知ってる?」

マスター:「緑の花?」

復卵:「『御衣黄』っていうんだけどね。御衣黄も最近見に行ったんだけど、何で緑の花を咲かすのでしょうね」

マスター:「ピンクじゃなくて緑・・・、何ででしょう」

復卵:「僕が想像したのは、ピンクの花を咲かすサクラの種類っていっぱいあるじゃない、それだけの種類があると、比較されると思うんだよね。だから、比較されにくくなるために、今日から緑で行くって決めたんじゃないかな」

マスター:「なるほど、それを面白がってたんですね。わかりました、緑の花びらに合うカクテルを、復卵さんのために考えますよ」

復卵:「よーし、御衣黄のように生きていくよ」

セブン:「シロップにさえ漬けてくれれば、色は何でも良いワン」







2013年4月21日日曜日

革財布


めずらしく「経験」をしました。

友人のために革財布を作りました。革を買い、手で縫いました。

考えてみると、学生の時から、何か物をつくるということをあまりやってこなかったので、完成したときには、達成感があり、何とも言えない気持ちになりました。

でも、この何とも言えない気持ちってなんでしょう。

言葉にできない。共感してもらえない。

あれっ、「経験」は人に共感してもらいやすく、伝えやすいはずなんだけどな。


体験した人にしか分からない気持ちだからでしょうか、言葉がないから共感できないのでしょうか。

言葉は有限で想いは無限なのでしょうか。

いや、この気持ちを知られたくない人たちが、広まるのが嫌で、言葉を作らなかったのでしょうね。






2013年4月14日日曜日

メタ麻雀


 カチッ

 カチッ

 カチッ


「ポン」


これで対面は2副露、聴牌気配濃厚。やばいこのオーラスで絶対に逆転しないと。

 カチッ

負けたらどうなる。家賃を払えない。追い出される?友人への返済は?

 カチッ

いや、家族は?妹の所へは行かないだろうか。

絶対に勝たないと。でもまだ聴牌すらしない。どうする、どうすればいいんだ・・・。

 カチッ

 カチッ


「ロン」


やばい、和られた。だめだ終わってしまう。えーい、これしかない。

「ロン、頭跳ねです。あと、大三元」

「はぁ、何言うてんねん。どこが大三元やねん。聴牌すらしてへんやないか。チョンボやぞ」

「いや、大三元と言えば大三元です。これを読んでいる人には手牌は見えてない、僕はずっと同情してもらえるようなことを言ってきました。だから、大三元と言えばそうなるはず。ねぇ、そうですよね、これを読んでる皆さん」


2013年4月7日日曜日

音楽と想像


前から、音楽というものをあまり聴かない。

音楽はやっぱり、感覚的なもので良いと思っても説明がしにくいのが原因なのかなと思う。

感覚的なものなんで、人それぞれ良いものが違う。

例えば、文章や、会話などは面白さに説明がつきやすいと思う。理詰めで構成の力である程度面白さを生めるからだと思う。

だから説明しやすい。ミステリの叙述トリックものとかが構成力の面白の代表じゃないかな。

音楽は構成を組み立てて作ったとしても、その構成自体が一般的の人にはわからない。でも、このあたりの考えは人それぞれ意見があるかな。

こういうことが言いたいのではなくて、音楽って、前から私が言っている「想像」に似てるなと思いました。

想像は人それぞれ違うから、理解されにくい、共感してくれる人は面白がってくれる。感覚的なもの。

そして、想像特化の私が音楽を聴かない。

それが面白いなと思いました。これからは私に近い音楽も聞いていかないとね。